品種と特性 栽培技術 沿革(歴史) メリクローン苗

【徳之島の糖業】

サトウキビが日本に入ってきたのは、今から約390年前、奄美大島本島大和村の住人直川智(スナオカワチ)が、朝貢使のお供をして琉球(沖縄県)へ渡航途中、台風に遭い中国福建地方に漂流し、その地でサトウキビの栽培と砂糖の製造法を習得し、慶長14(1609)年に密かに持ち帰ったとされている。そして、これを奄美大島本島大和郷に植え、翌慶長15(1610)年に黒糖を製造したのが、日本におけるサトウキビの栽培と製糖の始まりとされている。

徳之島にサトウキビと製糖法がいつ導入されたかは明らかではないが、薩摩藩が享保20(1735)年、徳之島にサトウキビ専任の役人 黍横目(きびよこめ)を置いたころより本格的な砂糖製造が始まったと思われる。

明治維新以後、奄美の糖業は衰退していたが、明治40年頃から農商務省も糖業の奨励に乗り出し、徳之島は諸島第一の産糖地となった。

大正13年、従来の細茎種 読谷山 に代わり、ジャワ系統の大茎種 POJ 2725 が台湾から導入され、南西諸島の産糖量は一段と増加したが、昭和16年の太平洋戦争突入と同時に主食糧増産のため作付面積・産糖量は極度に減少した。

昭和28年12月25日、奄美諸島は米国の信託統治下から解かれ日本に復帰し、国庫補助事業等によるサトウキビの生産力増強が図られた。

徳之島のサトウキビ作付面積は、サトウキビ価格の低迷や農家の高齢化等により、低迷していたが、平成18年6月に制定されたさとうきび増産計画のもと、バイオ苗(メリクローン苗)の普及や農作業の機械化等を行政・生産者・糖業者が一体となって取り組み、その結果、作付面積は増加に転じつつある。
現在、徳之島のサトウキビ生産量は、県下の約40%を占めている。


 個人情報保護について | サイトポリシー | サイトマップ | お問合せ
Copyright(c) 南西糖業株式会社. All Right Reserved